1952年、まだ名前のないもの
ジョン・ケージは前年にハーバードの無響室に入り、何も聞こえないはずの部屋で自分の体内の音を聞いた。翌年、演奏者が一音も弾かない『4分33秒』を書く。同じ年、チューリングは縞や斑点が、拡散の速さの違う2つの物質から勝手に生まれることを方程式で示した(チューリング・パターン)。同じ年の3月、22歳のエドガー・ダイクストラがアムステルダムの数学センターに就職する。職業名はまだなく、オランダで最初のプログラマと呼ばれるのは後のことだ。沈黙でも模様でもプログラムでも、1952年には呼び名のほうが遅れていた。
動くことになっている
台湾のサーバーの横には緑の乖乖が置いてあり、賞味期限が切れたら取り替える。食べてはいけない。1917年、イギリス海軍は2,300隻に派手な縞を塗った(ダズル迷彩)。効果の証拠は、2020年代の実験でも出ていない。2000年ごろ、清風高校の誰かが河川敷の折り返しで足踏みを始め、2025年の都道府県駅伝では何人もがそれをやった(鶴谷ターン)。速いかどうかの研究はない。そしてアンティキティラ島の機械の歯車は、2025年のシミュレーションでは4か月で詰まった。ただし計っているのは、2000年腐食した歯のほうだ。効くかどうかが分からないまま使われ続けるものは、効いているかどうかより、取り替え続けられているかどうかで生きている。
画面の中のものを、指す
クロード・シャノンが指導した博士論文で、サザランドはライトペンで画面に直接線を引いた。1963年のSketchpadである。5年後、ダグラス・エンゲルバートは木の箱に金属の車輪を2つ付けたものでサンフランシスコの聴衆の前に立った。1973年のAltoで窓とアイコンと矢印が揃い(WIMP)、1983年、美術史出身の彫刻家が方眼紙にドットを塗りつぶしたノートを持って面接に来た(スーザン・ケア)。ゴミ箱、腕時計、笑う顔。画面の中のものを指で指せるようになるまでに、20年かかっている。
誰も壁を築くつもりはない
1961年6月15日、ウルブリヒトは記者会見でそう答え、2か月後に壁を築いた。タレーランは5つの体制で主君を乗り換え、ウィーン会議では敗戦国を勝者の側に座らせた。相手ごとに違うことを言う将軍がいると、3人に1人が裏切るだけで全員が同じ計画に揃えない。1982年のビザンチン将軍問題はそれを証明し、同時に、偽造できない署名があれば裏切り者が何人いても揃えられることも示した。1941年、川崎の久地では直径18メートルの円筒分水工が造られた。水は中心から等しく溢れ、分け前は仕切りの長さだけで決まる。全員がその場で見ている。誰も嘘をつけない。
私を複製せよ
グーテンベルクは活字を鋳造して42行聖書を刷り、出資者のフストに訴えられて設備を失った。残っているのは約49部である。2012年、スウェーデンは Ctrl+C と Ctrl+V を神聖な記号とするコピミズム伝道教会を宗教団体として登録した。3度目の申請だった。エドガー・ダイクストラは万年筆で書いた草稿を複写して知人に郵送し続け、1300編を超えた。ルーマンは40年で9万枚のカードを書き、番号でつないだ(Zettelkasten)。アンディ・マツシャックはその方法をデジタルで組み直し、書きかけのノートをそのまま公開している。完成しないまま育て続ける場所を、デジタルガーデンと呼ぶ。
網は、誰を増強するか
1962年、グルシコフは2万の端末で工場の在庫を中央に吸い上げ、貨幣をなくす網を描いた(OGAS)。同じ年にダグラス・エンゲルバートは、人の知性を増強する網の報告書を書いた。前者は1970年10月1日に政治局で却下され、後者は1968年12月9日に実演された。国家を計算する網は潰れ、個人を増強する網が残り、その網の上で2011年、26歳のロス・ウルブリヒトが国家の干渉しない市場を Tor と Bitcoin で作った。Bitcoin が解いているのは1982年のビザンチン将軍問題で、裏切り者が混じっていても台帳を一致させる。網は、誰を増強するかで別のものになる。
持たない
工場を持たない半導体会社は設計だけをして、製造は1987年設立の TSMC に出す(ファブレス)。醸造所を持たないブルワリーはレシピを渡し、Far Yeast は2012年にベルギーで造らせたビールで始めて、2017年に小菅村に自分の釜を持った(ファントムブルワリー)。マハーポーシャは工場の代わりに信者を持っていた。無報酬で組み立てるから安い、はずだったが、差はせいぜい数百円だったという証言がある。大学も会社も持たない研究者は、パトロンからの支援で毎年その年の振り返りを公開する(アンディ・マツシャック)。持たないことは、別の何かを持つことで成り立っている。
数式の形
1870年ごろ、クンマーはローマン曲面の石膏模型を披露した。シリング社は1932年に製作をやめ、東京大学の約100点は第一次世界大戦前に輸入され、杉本博司はそれを撮影したあと、自分でアルミから削り出した(数理模型)。チューリングは縞が2つの物質の拡散速度の差から生まれると示し、1995年に近藤滋がタテジマキンチャクダイの皮でそれを確かめた(チューリング・パターン)。カールステン・ニコライはモアレを描き、池田亮司と cyclo. を組んだ。ヤニス・クセナキスは気体分子の統計力学で管弦楽を書いた。数式は、石膏にも魚の皮にもオーケストラにもなる。